私の父母は昭和20年8月6日に広島市で被爆しました。運よく生き延びることができ、二人とも天寿を全うしたのですが、今年は母の七回忌なので、母が生前によく語っていた「広島市立第一高等女学校(通称「市女」)の慰霊式」に参列させて頂きました。そして、ちょうど今年は被爆70周年になるので、慰霊式で「証」という小雑誌を貰いました。その小雑誌を何気なく読んで、現在の市立舟入高校の前身が"市女"であることを知ると同時に、そこで余りにも衝撃的な記事に出会いました。
"市女"に通い原爆で死亡した叔母のことを生前の母はよく語っていましたが、この小雑誌には母が語ってくれなかった被爆直後の凄まじい状況が記録されていました。"市女"の生徒は、当日は工場で働いたり、家屋取壊作業に従事していましたが、676名が被爆で亡くなられています。
生前の母が被爆の話しをするとき、私は「またか!!」と思っていましたが、母が他界して、この小雑誌で当時のことを読むと、その悲惨さが改めて理解(少しですが)できたような気がしました。
謹んで、ご冥福をお祈り致します。
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